明日も無色

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【考察】なぜ人々は「普通になりたい」ジョーカーに惹きつけられるのだろうか【危険な映画か】

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映画ジョーカーより

 

こんにちは、青色申告です。

 

今回は、なぜ人々はジョーカーに惹きつけられるのか。その魅力に独自の視点から迫りたいと思います。かなりネタバレを含みますが、見てない方でも楽しめるような、見たくなるような文章を心がけたいと思っています。 

 

文章は長いです!

 

【目次】

 

はじめに

はじめに、筆者のバットマンとの関わりについてお話したいと思います。私は、小さい頃は、ヒーロー戦隊から始まり、パワーレンジャー、スパイダーマン、ついてはバットマンへとたどり着きました。

 

BATMAN CHILD OF DREAMS

日本からゴッサム・シティに取材に来たニュースキャスターの八木優子。彼女は幼い頃バットマンに救われて以来、彼にインタビューするという夢を抱いていた。しかし到着早々トゥーフェイスの人質にされてしまう。バットマンの活躍でトゥーフェイスは捕まるのだが、そのトゥーフェイスはフェイク(偽物)であることが判明。

 

その後、ペンギン、リドラー、ジョーカー、そしてバットマンのフェイクが次々と現れるが、いずれの犯罪者たちも謎の死を遂げる。一連の事件に巻き込まれた優子は、フェイク・バットマンの正体が自分の上司だった事にショックを受けながら帰国。一方ゴートンの捜査から事件のカギは日本にあると踏んだバットマンもまた、日本へと向かう。 (参考

 

 一番最初に買ったのは、麻宮騎亜版バットマン。きっとご存じない方もいらっしゃるでしょう。こちらは日本の作家が書いたバットマンです。とても絵が綺麗で、読みやすい漫画です。もっと読みたいと思えるコミックスでした。

 

そして、この巻末に載っていた、「amazon」なる未知のサービスを使えば、海外のアメコミも購入できることを知ってから5年後、キリング・ジョーク(英米版)を手に入れることになります。これで一番気になっていた「ジョーカー」に触れることができる!とワクワクしていました。

 

キリング・ジョーク

後にジョーカーとなる男(名は明かされない)は、職を辞してスタンダップ・コメディアン(英語版)を志すがみじめに失敗する。身重の妻を養わなければならない男は、2人組の窃盗犯から勧誘を受けて、かつての職場である化学工場への侵入を企てる。

 

実行の前日、ありえないような偶然の事故で妻が死んだという知らせが届き、男は放心する。侵入の直前、2人組は男に架空の犯罪王「レッドフード」のマスクを被せ、万が一に備えて黒幕を演じさせる。プラントに足を踏み入れた一行はすぐに発見され、男1人を残して射殺される。さらにバットマンまでが現れ、男に迫る。

 

恐怖に駆られた男はプラントの排水溝に飛び込んで逃れる。廃液から這い上がり、赤いマスクを外すと、化学物質によって皮膚は白く脱色され、唇は紅く、髪は鮮やかな緑に染まっていた。水面に自身の変貌を映した男は、ややあってとめどない哄笑を響かせ始める。(Wikipedia

 

本作品は、最近公開された映画「ジョーカー」(2019)とはまたストーリーの違う、ジョーカー誕生秘話です。正直本作品を読んだ少年青色申告は、「共感できかねるで候」と思いました。全文英語だったせいもあり、無駄な擬音語に共感できなかっただけでなく、なんかストーリー浅くない?と思ってしまったのです。

 

すべてが単調で、狂ったジョーカーが問題を起こしていく。しかし、狂った理由は「化学物質」。そこには心理的な葛藤や劇的な展開はありません。きっと映画ジョーカーを見て、興味を持った方が読まれても期待はずれな印象が強いのではないでしょうか?

 

ダークナイトの絶対悪ジョーカー

 

 悪のはびこるゴッサム・シティーを舞台に、ジム警部補(ゲイリー・オールドマン)やハービー・デント地方検事(アーロン・エッカート)の協力のもと、バットマン(クリスチャン・ベイル)は街で起こる犯罪撲滅の成果を上げつつあった。だが、ジョーカーと名乗る謎の犯罪者の台頭により、街は再び混乱と狂気に包まれていく。最強の敵を前に、バットマンはあらゆるハイテク技術を駆使しながら、信じるものすべてと戦わざるを得なくなっていく。(参考

 

本作品でジョーカーが決定的に人気になった気がします。ティム・バートン版ジョーカーを超えた、コミカルよりも絶対的な悪意を感じるジョーカーが爆誕しました。今までのような特殊な能力を全く持ってないのに、めちゃめちゃ強いジョーカー。特別頭がいいとか、知的とかではなく「狂った悪意」に染まった悪役に多くの人が魅了されました。

 

また、本作品でバットマンという作品には「スーパーな能力」を持っていない悪役がたくさんいることにも気が付きます。元弁護士のトゥーフェイス(解離性同一性障害)、スケアクロウなど「精神障害」や「現実」との接点が多くあるサスペンス色の強い作品であることに気がつくのです。あの正義のシンボル「バットマン」も例外ではありません。常に正義と悪の間を行ったり来たりしているのが「バットマン」なのです。ここが数多くのヒーローコミックスとの違いです。スパイダーマンやスーパーマンのように「ヒーローが世界を救って終わり」ではなく、「ヒーローがヒーローではなくなる」という人間味抜群なところが魅力なのです。

 

ジョーカー(2019)

 

 

孤独で心の優しいアーサー(ホアキン・フェニックス)は、母の「どんなときも笑顔で人々を楽しませなさい」という言葉を心に刻みコメディアンを目指す。ピエロのメイクをして大道芸を披露しながら母を助ける彼は、同じアパートの住人ソフィーにひそかに思いを寄せていた。そして、笑いのある人生は素晴らしいと信じ、底辺からの脱出を試みる。(参考

 

そして満を持して公開された、ジョーカーは大ヒットを収めました。僕は本作品が公開されると知ってから、「キリング・ジョーク」実写化?と思いましたが、蓋を開けてみると全くの別物ストーリーでした。しかし、多くのファンの予想を裏切って大ヒット。これには以下のような要因があるように思いました。

 

  • 民衆の共感

 

この一点において抜群のメッセージ性が含まれていました。一方で、民衆の過激な運動を助長するプロパガンダとして利用されかねないほど「危険な映画」のように感じました。心優しいアーサーはコメディアンを夢見て、毎日「誰かを笑顔にしたくて」ジョークを演じる。しかし、誰も笑ってくれない、誰も思い通りに笑ってはくれない。人々は嗤うだけ。僕の悲しさを嗤うだけ。

 

こうした主人公像は今の時代に共感する人が多くいるように感じました。決して遠くはない夢を追うことも、嘲笑われることも、ちょっとミスをしただけでそこから一気に崩れていく状況も、多くの人が経験したことがあることではないでしょうか。こうした感情や格差社会を映し出したゴッサムシティはさながら、現代を映し出しているかのようです。

 

ピエロの化粧の意味

しかし、そうした中でもし、アーサーだけの映画であればここまでヒットすることはなかったでしょう。そこには劇的な「なにか」が必要だったのです。それがジョーカーでした。さながら、ワンピースに出てくる「そげキング」のような存在です。おいおい、どうしてここでそげキング?って思った方もいらっしゃるでしょう。なぜなら、そげキングは「解離性同一性障害」の特徴を映し出しているからです。

 

本作でも、アーサーは「ピエロの化粧」をしているときだけ「ジョーカー」になっています。このことに気がついているでしょうか。ピエロの化粧のときに「ジョーカー」になっていて、化粧をしていないときはアーサーのままです。このジョーカーのシンボル「ピエロの化粧」は作品中でも「弱者の抵抗の象徴」としてデモ隊でも使われていました。このシンボル性が必要だったのです。

 

誰もが笑える「オチ」。それはただの悲しいお話「アーサー」ではなくて、民衆を強烈に引きつける「何かを変える事ができるのではないか」という可能性のある「オチ」。それがジョーカーだったのです。

 

ターミネーターやスター・ウォーズが失敗している理由

 

 

最近では、ターミネーターやスター・ウォーズがいまいちヒットしていないような気がしています。それは需要とあっていないからではないか?と思っています。とにかく、多国籍で、女性版でリブートしているような印象があります。既存の焼きましにしか見えないような作品になっているのです。また、ターゲットは過去の黄金時代の世代。50代以上です。それは、それで作り手としては正しい方向ではあるとは思います。しかし、売れてなんぼのこの世界、人々の求めているのものと作りたいものを履き違えると、一気に失敗します。

 

今回の場合、なんでもありのスーパーマンが世界を救う、現実では経験しづらい遠い夢物語よりも、ふとした瞬間に障害で「笑ってしまう」主人公が、なんとかできることをやってみたのに、全然うまく行かない。誰も救えないし、誰も嘲笑わせることもできない。そうしたストーリー設定がガッツリ、多くの人にぶっ刺さったのではないかと思います。もちろん、脚本、映画撮影手法、演技力もそれまでの王道映画よりもクオリティが高かったのは言うまでもありません。

 

普通になりたくて

またこの「共感性」について深堀りすると、普通になりたいという感情は誰もが持ったことがあるのではないでしょうか。多くの人を笑わせられるようになりたい、誰かを幸せにしたい、そのための普通の感性を持ちたい、普通の人間になりたい。誰かに怒られる疎ましい存在ではなくて、好ましい存在になりたい。

 

多くの人が、学校で、会社で「普通になりたい」と願っています。ともすれば、悩み過ぎてうつ病や発達障害ではないか?と疑ったりしているのではないでしょうか。特に日本ではこうした空気は顕著でしょう。普通に生きていく。これが近くて遠くて、息苦しい。加えて、格差社会の現実や精神病のウソホント。

 

アーサーは作中で、人と笑いどころが違うことも、誰も自分の話を聞いていないことにも気がついていました。自分は普通とは違う。でもどうしたらいい。普通でなければ生きていられないの?幸せになれないのだろうか。光のもとにはいてはいけないのだろうか?妄想が多すぎたら?笑いどころがちがければ?

 

それは病気?

 

この苦悩の果に、現実ではうつ病や精神病になる中で、アーサーは「ジョーカー」になりました。こうした流れは理解しやすいストーリーでキリング・ジョークとは違う魅力へとつながったように思います。

 

危険な映画だろうか

jp.ign.com

米国のTwitterで「ジョーカー 危険な映画」と検索すると、「現実世界での暴力を誘発するのではないか」と懸念するツイートがいくらでも出てくる。TIMEのレビューも同様の見方を示しており、「米国ではアーサー(・フレック)のような男によって銃乱射事件や暴力事件が隔週のように起きている。にもかかわらず、同作はジョーカーに同情することを観客に求めている。彼は迷える子羊で、ただ単に愛情が足りなかっただけなのだ、と」

 

確かに、危険な映画と捉えられる場面もあるでしょう。暴力で憂鬱な現実をぶっ壊す、トランプなどの自国第一主義的なポピュリズムともつながる思想と関連があるというように捉えられるかもしれません。移民や資本主義など仮想の敵を民衆の力でぶっ壊して変えていくことを扇動しているのではないか?と懸念される場面もあるでしょう。

 

しかし、そうした部分も含めて本作は「ジョーカー」というものをうまく使いこなしている「アート作品」であると思っています。ジョーカーは作中で「政治には全く興味がない」と連呼しまくります。これは逆に珍しいことです。ジョーカーが政治について語る。実際作中で、ジョーカーは政治運動は一切行っていません。証券マンを殺害したときも、自己防衛のために殺し、元同僚も自分のために殺しました。

 

それを世間が勝手に解釈して、政治運動に利用している。そうした流れは、今までのジョーカーにも通じるところがあります。犯罪活動に「ジョーカー」に惹きつけられて参加した仲間を利用するというのは多々ありました。ここで重要なのは「ジョーカー」は常に一人ということです。すべてが自分の考え出したジョークの中の一つの事象に過ぎません。そう考えると、本作品がそのような批判を受けるとなっている時点で、うまくジョーカーを表現できたといえるのかもしれません。

 

コラム:ジョーカーつまらなかった

正直、ダークナイト的な勧善懲悪な流れを求めていた人にはつまらなかったように思います。ターゲットの違いです。

 

しかし本作品は紛れもなく映画としてよかったように思います。

 

コラム:スーサイド・スクワッド

eiga.com

 

スーサイド・スクワッドのジョーカー役の方は「なんであっちのジョーカーのほうがヒットしてるん?」となってるみたいですが、理由は明白です。脚本、マーケティング、演技力、構成すべてが上回っていました。映画としてクオリティが高かったのです。

 

どんまい。

 

最後に

作中ロバート・デ・ニーロが「君はそうやって自分の現状を哀れんでいるだけじゃないか」とジョーカーにいうシーンがあります。この言葉がとても印象に残っています。は!!昔の僕ではないのか?と思ってしまったからです。現状の不満を垂れ流して、具体的な行動をしないようなそんな感じがしてしまったのです。

 

アーサーはジョーカーになることで「自分の居場所」を見つけることができました。常に否定され、邪険にされている中で、多くの民衆の共感と支持を得ることができる「ポジション」を獲得できたのです。ただ人に笑ってほしかっただけなのに、ただ好きな人に頼られる人間になりたかっただけなのに。

 

そうした思いは形を変えて達成されました。しかし、もし、彼が唯一殺さなかった「君だけが僕に優しかった」といっていた友人のように、多くの多様性に寛容であればジョーカーにならなかった「ストーリー」も存在したのでしょう。こうした考察も含めて作品としていい映画だったように思います。是非劇場で見てみてください!!

 

以上です。