明日も無色

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【民主主義の限界?】日本の若者が投票に行かなくなったのは必然かもしれない。

 

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こんにちは、青色申告です。

 

今回は、日本の若者が投票に行かなくても何も悪くない理由を考えたました。投票となると、急にあらゆるメディアが「日本の若者は政治に無関心で悪い」と声高らかに言いますが、なにかおかしなと思ったので、その原因に迫りたいと思います。

 

www.sankei.com

 

【目次】

 

はじめに

まず最初に申し上げておくと、これまでの投票権をめぐる歴史の重要さ、過酷さは認識しているつもりです。どれだけ多くの血が流れて、先人が「この制度によって未来の若者達が築く日本が豊かになってほしい」と思い馳せたことも。

 

しかし、今の世代はそれを歴史の情報にしか過ぎないことも事実となりました。すべての制度が当たり前となってしまい、平等選挙も匿名選挙も至極当たり前となりました。その前提で話を進めないとかなり話がこじれそうだなと感じました。

 

日本の若者が投票に行かない理由 

以下簡単に4つ程具体例を上げたいと思います。

 

①明確なメリットやデメリットがないように見える

まずこれが大きいのではないかと思います。特別に投票に行かなくても何も変化は起きないように思う。いや、そう見えてしまう。実質的には自民党だけでいいし、それ以外の党は「なんとなく危険な思想」に見えてしまう。〇〇学会や共産党、新興宗教に関連があると思うと、かなりやばいなと感じる若者が多く、それは高齢者でも多く、結果として自民党でいいかなとなるのが決定している。(※なお、なぜかやばいの具体的な理由は知らない人が多数)

 

何も変わらない。いつも通りの政党がいつも通りの政治運営を行う。これがずっと続くように見えてしまう。いきなり、徴兵令や戦争国になるはずもない。そう思っているのです。日本の政治家はとても優秀ですから、「いきなり」は変えていません。徐々に変えていっているだけなのです。とても優秀な政治運営ですね。それが民意とかけ離れた党意になっていてとしても僕たちは気づいても、麻痺して後戻りはできないようです。

 

参考

 

②政治にだけ関心がないわけじゃない

政治に無関心ではいかん!とお思いでしょうが、政治もろとも全てに無関心なことが重要ではないでしょうか。正直今の多くの人が自分もろとも無関心が蔓延しているように思います。そうは思いませんか?もちろん、お腹がすけばご飯が食べたくなる。しかし、生活は不便なくできているはずなのに、どこか人が1人で単体で存在しているようなそんな感覚に陥ります。

 

遠い国で日本人が拉致されても、コラまつり。環境問題で泣き叫ぶ少女がいても、コラまつり。目の前で飛び込み自殺をしてもTwitterで動画をアップすることだけを考えている。どうせ仕事は暇つぶしだからと思っている人が30%を占め、一人で生きていければいいやと思う人が30%を占め、一回国家破綻してやり直したほうがいいんじゃない?と思ってる人が15%を占めているのではないでしょうか。

 

これが悪いとは思いません。旧来的な家族制度や慣習に疲れたせいでしょう。限界が来たとも言えます。これは必然なのでしょう。そうした状況で「政治」と言われても一ミリも興味がわかない商品をPRされているような感覚になります。そうした中で、自発的に行動しようというのは論点がずれているように思います。僕たちは、何も思わないものへの自発的な行動などができるのでしょうか。

 

③主観ではなく、究極的な他観文化

そして日本人の物の見方は、主観ではなく、究極の他観だと思うのです。客観視しているのではありません。日本の集団の中に存在する「空気」に自分の思いをすべてトランスさせるのです。主観的か自発的な発言や行動は行いません。行っているように見えても、それはすべて「空気」に準じた行動です。その集団の仮想の総意「空気」に自分達の責任をすべて隠すのです。

 

あくまで自分が言ったわけじゃない。みんながそうしているからという価値観の元に行動するように習慣づけられているのです。これも全然悪くないですよね。生まれながらにしてこのように生きてきたのですから、それを大人が非難しては行けないように思いますね。僕たちはスウェーデン人ではありません。僕たちはアジア人で、歴史的にも潜在的に完成された「社会主義」で生きてまいりました。そうした事情を鑑みると、仕方がないなと思うのであります。

 

④政治家はどこにいる。政治はどこにある。

最後に、政治家や政治が若者のメディアからいなくなりました。いや、必然的に若者がみるメディアから政治が消えたのです。Twitterやfacebook、Tiktokでも政治広告の禁止になり、広告という媒体では政治がシャットアウトされました。加えて、SNSではフォローしたアカウントしか情報は流れません。Youtuberやインフルエンサーばかりのアカウントをフォローしていれば、必然的に政治家とも遠くなります。N国党首のほうがもしかしたら今の若者は認知度が高いかもしれません。それ以外の自民党党員については殆ど知らないし、ノイズでしかないように感じます。今後もテレビは高齢者向けとなることを考えても、ますます現行の政治は遠くなることでしょう。

 

現行民主主義の限界

こうして考えてみると、今の政治は政治家がなんとか「関心」を持ってもらおうと有権者にはたらきかけている構図が見えてきます。これは「民主」政治なのでしょうか?「特に信託もしていない政治家がなっていく」「勝手に政治が決まっていく」「現状維持ならそれでいいじゃないの?よろしくやっておいてよ」という感じ。

 

しかも重要なのは、「別にそれで何が問題あるの?」という空気が蔓延しつくして充満しているということです。個人的には、これはなかなかすごい国だと思います。もしそれを政治家も十分すぎるほど認識していて、横暴な政治をしたらすぐ吊し上げできる土壌があると考えればいいのでしょうか。究極の「よろしくやっておいて」政治はどこまでうまくいくのでしょうか。これはもはや今の政治構成が限界に来ているような気がするのです。もし、国民主権というものがあるならば、かなり不思議な構造になっているように思うのです。

 

ブロックチェーン型民主主義の将来性

forbesjapan.com

 

ブロックチェーンでは、政府や銀行などの強力な仲介者ではなく、大勢の人との連携や優れた規則によって、信用が築かれる

 

ビットコインでブロックチェーンという方法が有名になりました。政府などの介在なくして、透明性と相互民主性が増すという手法です。これは政治家への投票だけでなく、直接の決定権を各個人に与えることも可能になるように思います。各個人が条約や法律の採択の決定権を持つ。「おいおい、めんどくせえよ」と思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、もっと具体的に考えてみましょう。

 

「法人税カット!」「派遣社員は原則3年継続したら正社員」「アルバイトにも賞与」となるような法律案が来たら絶対賛否投票に参加したくなりますよね?なぜなら、明日からの給与や賞与や雇用が変わるのですから。それをテクノロジーの力を使えば簡単にできるようになるかもしれません。

 

具体的は半直接民主半間接民主制のようなイメージです。民主主義は全然完成されていないので、こうした政治体制がどこかの国で現実となる日も近いかもしれません。でもおそらく日本ではないでしょう。前例を重んじ、他と違うことはしないこの国では決してないと確信しています。

 

参考

 

最後に

皆さんは政治ってどのように思いますか。個人的には、もっとどういった法案が作られていて、どういった政治家が発言していてという情報が当たり前に伝わってくれる世の中になればいいのにとは思います。

 

しかし、そうしたメディアはフォローしたくない気持ちも十分わかります。国会討論もすごく見る気が起きません。なんかこれじゃない感すごくないですか?僕たちの日常にはもっと政治が身近に合ってもいいはずなのに、すごくつまらなそうなスマホアプリの広告や転職サイトの広告で溢れています。

 

電車に乗れば、いつも見る思考停止の広告ばかり。広告枠が政治利用禁止となった今後はあまり明るくはないでしょう。いつものような「変わり映えのない」日常が続いていくのでしょう。今現在は高齢者が主に投票をしていますが、今の20代後半の層が50歳になる頃には投票行く人がほとんどいなくなるのではないでしょうか。

 

そしたら、政治家を目指すのが一番簡単で手っ取り早いホワイトで人気の職業になるかもしれません。国民からの監視も特にないし、何も言われないしって。今もそうなのかもしれませんが。

 

以上です。

 

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