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【こどおじ】精神年齢が低いままの「大人になりきれない大人たち」について考えた【18歳は大人?】

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こんにちは、青色申告です。

 

今日は、「大人」について考えてみようと思います。

 

私もいい「おじさん」になりつつあるのですが、年は取っても、「大人」になれた気がしてきません。そもそも大人ってどうなればいいんだ?なんてふと思ったりしてしまいます。そんな方は男女ともに多いのではないでしょうか。そのような方に楽しんで読んでもらえれば幸いです。

 

【目次】

 

世間が考える「大人像」

そもそも、世間が考える大人とはどのようなものなのでしょう。調べてみると、以下のような印象があると思います。

 

  • 自立して生活ができている
  • 社交性がある
  • マナーをわきまえている
  • 冷静な判断力
  • 大きな精神的な器を持っている(精神的に余裕がある)

 

まとめると、

 

金銭的・精神的に自立して、落ち着き、冷静な判断力を有して「行動」で「他者」に示せる存在になるということになります。

 

ここで注意深く考えてみると、「他人」との関係の中で「大人」というものがとらえられていることがわかります。決して、自己だけの中で確立しているのではなく、他者との関係性の中にあることが重要なようです。

 

【参考記事】

人はいくつから大人になるのか | 時事オピニオン | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス

大人って何歳から? 「大人になる」とはどういうこと|「マイナビウーマン」

 

精神的な成熟をしていれば大人だろうか

では、似たような意味でも取り扱われる「精神的な成熟」についても見てみましょう。

 

これは自己存在としての「成熟」という視点でとらえる試みです。

 

  • 自分の行動に対する責任
  • 現実の受忍
  • 精神的な安定
  • 感情や思考の一貫性
  • 自制

 

こう見てみると、精神的な成熟を経ている人は「世間的な大人」といえるような気がしてきますね。こういう方は、他者との関係も「子供っぽい」となることは少ないように思います。

 

【参考】

精神的成熟の7つの特徴 — こころの探検

 

18歳から「大人」という考え方について

政府広報によれば「18歳から大人になる」という考え方のようです。恐らく、法律的な成人と「大人」を軽い気持ちで混同しているだけのように思います。

 

個人的には18歳で大人という感覚は少しおかしいかなと思いました。18歳で思考的・判断能力的に政治や責任能力をもつという理解には賛成です。しかしながら、「世間的な意味で大人」と判断する人は少ないのではないでしょうか。

 

選挙権が与えられれば、親の同意なく契約ができれば勝手に「大人」として覚醒するわけはありません。18歳以降何年も経ているのに、未覚醒の方が多くいるのではないですか。後掲の資料によれば、今の精神的な成人年齢は40歳ともいわれているようです。確かにそのイメージはありますよね。こう考えると、「精神的な成熟」を経ている人を、ここで考えるべき「大人」と呼べそうです。

 

【参考】

18歳から“大人”に!成年年齢引き下げで変わること、変わらないこと。 | 暮らしに役立つ情報 | 政府広報オンライン 

【PDF】※閲覧の際は、ダウンロードが始まるので注意

【実践女子大学:広井多鶴子】成年年齢と若者の「精神的成熟」

 

 

精神的成熟には何が必要なのか

では、精神的成熟のためには何が必要なのでしょうか。考えられることとして以下があります。

 

教養

まずそもそも論として、勉強があるでしょう。多くの方が親から「勉強しろ」と言われてはいませんでしたか?

 

これはいい職場に入るためにだけでなく、成人の厳しい試練がなくなった現代においてずっと続く成人としての試練としての意味合いが含まれています。勉強なんかしなくてもお金は儲けられるでしょう。一種ゲームのようなものだからです。しかし、大人と呼べる人は少ないような気がします。Twitterでよく炎上する起業家は子供っぽい発言が話題になります。

 

お金を儲けることができるだけでは大人になれるのではなく、教養としての多面的な知識が必要になるのです。

  

成人としての文化

個人的には、現代は古臭い風習や考え方がなくなって、「自由主義」的な文化になっていることが「子供っぽい、なんちゃって大人」が増えているように思います。

 

昭和以前は厳しい上下関係、身分制度や、お見合い婚や村社会など強固な関係性のもと社会が形作られていました。男たるもの、女たるもの、そうした日本の「文化」は日本史で勉強してきたと思います。

 

そうしたものは今では「無価値」なものとして扱われていますが、「大人」としての自覚の養成には一役買ったのではないかと思います。いわゆる、強制的な決められた人生というものが、「大人」というフォーマットもセットで与えていたのではと思います。

 

今現在は、すべて個人の自由ではないかという価値観が広く浸透し始めています。それ自体はとてもいいことだと思います。しかし、それによって個人が選択する能力が問われてきているような気がしています。

 

すべて自分で選択して、

自分で作り出していかないといけない

 

ゲームでいえば、キャラクター設定でテンプレがないままにキャラクターを作る状態です。一体どれくらいの人が、誰からも言われずに厳しい道を選択できるのでしょうか。結果、多くの人が、目先の利益や楽な道を選択して「なんちゃって状態」で年齢を重ねていくのではないでしょうか。

 

ある程度の社会的な制約も必要なのではないかと個人的に考えます。

 

対外的なアウトプット

そして、対外的なアウトプットが必要だと思います。勉強というインプットだけを室内でやっていても、「大人」になることはできません。

 

ここで考える「大人」とは常に「他者」との関係の中でとらえるべきものだからです。精神的成熟にあるような自制、現実を受け入れる力というのは、常に自分以外のものから影響やストレスを受けて培われるものです。

 

そのため、対外的なアクションが必ず必要になってきます。しかし、このアクションは上記で見たように「自由意志」で行われるものです。つまり、自分で必要だと自覚しているか、自然にできる人が行うアクションなわけです。これを今の教育の中で自然に身に着けるのは難しいですよね。

 

「大人」になる必要性はあるのか

ここで、こんなにめんどくさい「大人」になる必要はあるのかについても考えてみましょう。

 

お金も稼げてるし、生きていけるし

他人なんて関係ないわ!

 

っていう人もいると思います。でもメリットは多いと思います。多いから、「もうこんな年齢なのに、大人になってない」って思ってしまう人が多いのではないでしょうか。

 

一番のメリットは、自己存在の承認を得られる点です。これが一番大きい。社会に認められる存在になることで、今までストレスに感じていることが減っていきます。いわゆる市民権を得ることに成功するのです。

  

コラム:「こどおじ」は大人か子供か

私としては、「子供部屋にずっと住んでいる」という点だけでは子供といえない気がしています。

 

上記見た通り、金銭的な自立をしていないことは必ずしも「大人」ではないといえないためです。子供部屋に住んでいたとしても、精神的に成熟した方も多くいると思いますし、実際18歳くらいでも精神的に成熟している方もいるでしょうから。

 

以前読んだ記事では、引きこもりの支援のために日本中で講演をしている方がいました。母と二人暮らしだそうで、今でも「子供部屋」に住んでいるそうです。

 

こういう方も「こどおじ」と呼ぶのはイメージと違う気がします。したがって、個別具体的に考えるべきでしょう。

 

  • 負担
  • 使用形態
  • 状況や経緯

 

などで変わってくると思います。5chでよく使われる悪口が多くの方に一律に当てはまるものではないでしょう。精神的な安定、自律性、社交性を培うにおいては、あまり重要な点ではないようにも思いますが、なんの負担も思考もなく、自分の社会の中で「子供部屋に住み続ける」ことを良しとしていれば少し見直してみることから始めてもいいかもしれません。

 

大人の仮面を手に入れる

そうはいっても、自分の元来の性格から「子供っぽくなってしまう」人も多いと思います。それは個性であったり、精神的な特徴だったりもするでしょう。

 

また、その子供っぽさが魅力だったりすることもあると思います。子供ぽっさというのは「感情」が豊かであるということです。ともすれば、冷静さに全振りして、根拠だけを話す人よりも話しやすいという側面もあると思います。

 

そんな方にも「大人」の仮面を後天的・意図的に習得することはできると思っています。対外的に仮面を使い分けることができる。これが感情のコントロールであり、自分のコントロールになります。これができるようになれば、個人的には「子供の振りもできる大人」になると思っています。こうした仮面を手に入れるには、きっかけが必要かもしれません。

 

  • いつも虐げられてる
  • いつも対人関係で問題が起こる

 

そうした人はこういう仮面づくりを始めてもいいかもしれません。大人になるためにではなく、ストレスなく生きていくために、ゲームのように武器集めをしていけばいいのです。

 

ありのままの自分がいいの!!といっても、素っ裸でT-REXに当たっても即死してしまいます。現実はゲームと違って、ライフが自動回復しないのです。少ない摩耗するライフを十二分に守るためにも、こうした仮面を習得するのはいいことなんじゃないかなと思います。

 

大人とはアイデンティティではない

また、こうして考えると、大人というものはアイデンティティではないことにも気が付きます。自己存在の確立のためのツールにすぎないということです。個性の種類ではないので、多くの人が普遍的に獲得できるということを意味するのです。

 

アイデンティティの確立をするれば、「大人」の一種になれるというイメージでしたが、「大人」になるアプローチから初めて、アイデンティティの発見にもつながるのではないかという点では、個人的に新しい発見でもありました。

 

固定的な閉鎖社会になりがち

と、まあ、書いてはみたんですけど、まだまだダンディで可憐な「大人」にはなれていないことを痛感しました。もっと多くの対外的な経験を経て、トライ&エラーする必要がありそうです。

 

しかしながら、日本の場合、学校を出てしまうと固定の人としか関わらない環境下にあると思います。そうした環境と自由主義的環境が相まって、意識して行動しないと自分の中の成熟が遅くなってしまうのではないかとも思いました。

 

新しい環境に飛び込む

新しい人と関係を構築していく。これは日本では、一種狂気にも近いことでしょう。教養ばかり高めて、安定的な環境下にある人にとってそれはさらに顕著でしょう。

 

  • 自己の中の成熟がしないまま部下を持ち、子供を持ち、年齢だけ重ねていく
  • 大人になっているという自覚も自信も持てない
  • それを誰かに漏らすことはできない

 

とても大変な「大人」が今後も増えていくのだろうなと感じました。気が付いたときに意識的に行動していきたいですね。

 

【2019年に個人的に読みたい教養の本】