明日も無色

社畜が世の中の「本当に」気になることを妄想的思考で書くブログ

実は「やりたいこと」がなかったって話

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こんにちは、夜も更けて何してるんでしょう。青色申告です。

 

今やっとの思いで一つ記事を書いたのですが、少し思うことがあったので書いておこうと思います。

 

【目次】

 

やりたいと思ってた妄想

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僕は前職にいたころ、毎日メモをしていました。それは「やりたかった」こと。世間で声高に叫ばれる「やりたいことをやりなさい」という正義論に則り「やりたいこと」を箇条書きにしていきました。実はそれなりに数は出てきたんです。陶芸家の弟子になるとかフリーランスとか世界一周とか。それが「やりたいこと」だと心に決めつけていたのです。でも無職になって2週間。毎日ブログを更新し、勉強していて思ったんです。

 

「やりたいこと」って実はなかったんだなーって。

 

仕事を辞めたら「やりたいこと」ができる。そう正当化していただけだったんです。僕が仕事を辞めたかったのは「心と体を守る」ためでした。その点では後悔はありません。今頃僕は間違いなく休職していただろうから悔いはないのです。やめるべくしてやめたのです。

 

しかし、正当化していた理由には矛盾がありました。僕が叶えたかったのは妄想でも理想でもなかったのです。陶芸家の弟子になる、その他雑多なものは生涯をかけて命を懸けてやりたいというより、片手間で自己満足でできればよかったものたちばかりでした。心の底から熱中できるそのようなものではなかったのです。いや、集中はできる。熱中もワクワクもできる。でも僕はそれをまだセーフゾーンとしてとっておきたいとかかんがえてやがります。いつになったらその「天国」を叶えるつもりなのでしょうか。

 

生涯をかけて

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キーワードはきっと生涯をかけてということなのかもしれません。僕は小さいころから承認欲求が強かった気がします。誰かに褒められたい。誰かに認めてもらいたい。そのために命を懸けていました。就活も志望動機を基地外じみたことをいって進軍してきました。「誰かに認めてもらいたい」そこにキーワードがあるのです。

 

なんとしても実現したいこと

唐突ですが、何としても【叶えなければならないこと】というものを持っているでしょうか。僕はもう小休止中ですが多くの起業家、社長、COO、課長や執行役、いろんな肩書の方々に伺ってきました。むしろ彼らが持っていなかった誰が持っているのでしょうと考えたのもあります。答えは意外にあいまいなものばかりでした。彼らは僕の実績を数字で評価するほかありませんが、僕は彼らのことばの雰囲気で測定していました。彼らでさえ、現実になると夢もビジョンも具体的なものに変化し、まったく違うものに向かって行ってしまいます。

 

原体験にヒントがある

僕が叶えなければならないことは結構抽象的なイメージでいえば、「他者の記憶に残るような人間になること」とずっと思っていきました。別に有名人になりたいわけでも世界史の教科書に載りたいわけでもありません。ただ「ふと、誰かそんなこと言ってた気がする」そんなレベルでいいのです。僕の顔も名前もそんなのどうだっていいのです。ちょっとだけ思い出してもらえる言葉や映像がデジャブのようにフラッシュバックする。そんなことを世界に対して影響を与えたいと思っているのです。ここでいう世界もワールドワイドなものではありません。’目の前の現実’ただそれだけでいいのです。見えない地球の裏側を思っても何も変えられません。僕はただ目の前の現実を変えたい。そう考えるようになりました。さらに僕はその「目の前」の規模も自分から広げていきたい。イメージではなく僕が、まさに僕が広げていきたい。そう思います。

 

そのために今まで法哲学や美術や弁論術、言語を勉強してきたのかもしれませんし、営業や接客に興味を持ったのかもしれません。すべてはつながっていると思いたい。そのために今僕がやっていることは労働関係の法律となぜか美術をやっています。一見つながっていないように見えるこの二つ。でも僕には間違いなくつながりが見えています。間違いなくつながっています。そう確信しています。労働関係について興味を持ったのは前職やこれまでの経験で思ったのです

 

この国働き方おかしくねえか。

おかしすぎんだろ!!!って。

 

古株はみんないいます。「30過ぎたらもう会社にしがみつくしかない。30までだ。それ以降手に職がなかったら終わり。仕事はストレスの対価

 

馬鹿野郎。そんなわけねえだろ!って

 

思いました。僕が働いている最中に考えていたのは、なぜかアリストテレスと労働基準法。アリストテレスは言いました。たぶん。「仕事と労働は違う」そう思ってました。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

 僕は、「仕事は価値の相互交換」だと思っています。お互いの交換によってWin-win最高じゃないですか。僕はそんな働き方が望ましいと思っています。しかし、現実はできているところも多くあるものの、できない状況の企業もたくさんあることを知っています。それを何とかしたい。ただ僕はそれを切望しているのです。

 

だから今模索しているのです。ベンチャーにあるのか法律にあるのかと。すべてを知らなければまた視点が偏り解決できなくなります。だから僕は自らその業界に突入することにしています。もはや自分がクリエイターやフリーランスにならないと新しい働き方もその問題点も伝えられない。飛び込むならいつでもいけるぜ状態にしたいのです。

 

すべてを知りたい。そのためであれば、正直ブラック企業かはどうでもいいのです。ゲームよりやる価値があります。ゲームはやりたい!!って思っているときが最高です。こんなこと言ってるけど実はブラック企業なんて行きたくありません。でもブラック企業はすべてつぶしてしまえというけれど、その内情も知らなければ何もつぶせません。僕は本当にリアルに変えたい。変えるためにはリアルに対決しなければならないのです。だから僕は今無職です。すべての状況を限りなく知るために目の前のことだけをやります。イメージだけじゃ変えられないから

 

といってますけど、くじけたらごめんなさい。

 

コラム:やりたいことも夢もないのが普通

追記して、最近の若い人に「やりたいことも夢もない」というのが多い気がします。僕はそれはとてもいいことだと思うのです。やりたいこと、やってみたいことレベルはきっと多くの人ができていると思うのです。それはゲームをやるであったり、遊んだりなどです。でも多くの人が思い描いている「やりたいこと」はもっと社会貢献性のあるものではないでしょうか?

 

社会貢献性のある「やりたいこと」がなぜ思いつかない、自分の中にないのはおかしいことではありません。特段、不満のない環境に身を置かれている証拠です。平和で安全で生きて行けている証拠です。そこからステップアップしてなにか自己の幸せを模索するのが先決で、「やりたいこと」に必死にやるのが成功ルートというのは世間のせいなので気にしなくていいと思います。

 

多くの輝いて見える「やりたいこと」の正体は、「原体験からの課題の発見と主観的な執念」によるものだと思っています。誰かの借り物ではなくて、自分がなんとかしないとなんにも変わっていかないのだと主観的に理解した上での行動だから輝いて見えるのです。借り物の「やりたいこと」はきっと長く続いている人はいないでしょう。やりたいことを仕事にする、好きなことを仕事にするというのは聞こえはいいけど、主観的でないなら意味はありません。本当にやりたいことよりも、自分がなんとしても成し遂げたいことと言葉を変えたら、良いヒントが浮かび上がってくるかもしれません。今までの社会の不満、自分ができること、自分ができないことこの棚卸しを散歩の間にしてみると良いかもしれません。

 

コラム:好きなことを仕事にする

個人的に、やりたいこと、好きなことをごっちゃにしている人も多いのかなと感じます。これはこの記事でも申し上げていますが、好きなことが自分に向いている仕事という意味ではないことも多いと思います。好きというものは趣味でやるのが好きという事実が隠されているからです。仕事になったら、本当に仕事になります。自分が仕事レベルでできる、得意という視点を持っておかないと、挫折する方が多い印象があります。更に、好きなことを仕事にできたという一点だけをゴールにしてしまうことも多く、その先の生活や豊かさ、健康なども害されて本末転倒で楽しめなくなったというのもあるのです。

 

得てして、好きなことを仕事にする場合、競合も多い印象があります。買い叩かれたり、需要と供給がマッチしていないことも多いのです、趣味レベルの好きなことをきっかけにスタートした場合、既にアマチュアレベルですごい人がいることも予想されます。自分の「できること」を最大限伸ばせる仕事を検討した上で、好きなことを好きなままで地道にスキルアップしていくというのも選択の一つのように感じます。

 

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