明日も無色

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【無職の就活】勉強だけができた。それはそんなに悪いことなのだろうか。

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こんにちは、青色申告です。

 

先日面接をしてきたので思ったことを書こうと思います。

 

【目次】

 

面接に向かったのは【忍者広告】のせい

ずいぶん前から登録していた転職サイトからメールが来たので、何となしに眺めていたら下から突如として広告が現れました。消そうと思いバツ印を押します。しかし、僕の指は広告裏の「応募する」ボタンをクリック。翌日返信が来て、面接することになりました。

 

あなたのやりたいことってなんですか

僕は面接で答えるべき答えがわかります。目に見えてわかる。しかしそんなことをして入社しても、内定をもらっても仕方がないのでいつも正直に言っていました。ましてベンチャー企業だったのでより感情に訴える必要がありました。ベンチャー企業だけとは限りませんが、よく聞かれる質問にこういうものがあります。

 

あなたのやりたいことはなんですか。

 

そんな質問があります。僕はこの質問に意味はないと考えます。なぜならそこにコミットする人材なんていないのですから。やりたいことをなぜ前職でできなかったか、今なぜできないのか。それをポンコツになるくらい深堀され、ああ、自分ってなんもできなかったんだなあって実感させてお祈りされるのが今の就活の現状です。そんな人間は今の日本では必要とされません。

 

今必要とされる人材は自分で考え、行動し、グループ活動も積極的で、何かを成し遂げたことがある人間だけということになります。

 

教育と社会との乖離を嘆くだけならやめてくれ

しかし今の教育制度はそうした人材など到底養成できるはずがありません。なぜなら、今の教育制度はすべての場数をちゃんと踏めば公務員になる道しか残されていないのですから。

 

・ひたすら暗記を繰り返す

・読めばわかる教科書をノートに写す

・内申点稼ぎ

 

基本的にこれに終始します。一部娯楽程度に社会体験的なものはありますが、すべて遠足レベルです。基本的に同じことをひたすら繰り返しの結果、学生生活は終わります。

 

そして大学生になり多くの学生は勉強をせずインターンなどを行って就活に命をかけ、大企業に入り命を燃やし尽くす。または、大学生にもなって勉強に命をささげた場合、残るのは公務員専門の学校へダブルスクールし、面接・論文対策をし大学入試よりイージーな公務員試験に臨みます。そして公務員になり人間関係に苛まれて疲れ果てる。そんな2つの大まかな流れしかありません。

 

多くの社会人は言います。

 

学生なんて社会では全く役に立たない。

 

その通り。まったく役に立ちません。しかし僕は言いたい。

 

結局お前らは何をした

 

結局お前らも政治に無関心どころか自分のことで精一杯なくせして、ずるずる会社に残ってそういう若者が来たらいびるだけいびって昔の自分の復讐を繰り返すだけなのではないでしょうか。教育が悪いと口では言うけど、何もしない。何もできない。幹部になっても社長になっても気にするのは自分だけ。気にするのは自分の利害だけ。わかってるんですよ。そんな自然な流れは。だから僕は言いたい。今の若者をいびる前に、けなす前にお前らが今できることを1つでもしてくれと。僕らよりも権力が少しでもあるはずで、少しでも話せる口があるはずなのです。

 

今の若いやつにはガッツがない

 

そんなの当然ですよ。そのように当然に育ってきたんですから。ガッツを持つより正確に、ガッツを持つより従順に、ガッツをもつより論理的に。中途半端に西洋教育を取り入れて、そんな風に育ってきたのですから。それを嘆いても仕方がないじゃないですか。僕たちは北斗の拳のようなアウトローにはあこがれませんでした。僕たちが憧れたものはなにもなかったのです。ワンピースでは冒険にワクワクし、シャーマンキングでは林原めぐみnorthern lights を聞いていい曲やなーってほんわかしただけでした。

 

Northern lights
林原めぐみ
2002/03/27 ¥250

 

ガッツよりのほほんっと育ってきたのです。教育に問題があったのかもしれません。それを僕たちは知りませんでした。僕らが知っていたのは

 

勉強すればきっと良い人生が待っている

 

そういった世間の大人たちのことばを信じていただけでした。

 

勉強ができるだけで頭悪いという意見

僕らは勉強だけをしていました。僕の場合は中高ともに8割を勉強に費やしました。それは世間の声を信じたからです。

 

学生は勉強が仕事だ

 

僕はその言葉を信じて仕事をしました。こんな単語覚えても仕方ないと思う、絶対日常会話で使わない英語の単語も数式も覚えました。読めても意味のない漢字や難しい論文を英語で読めるようになりました。なぜならそれがテストにでるからです。テストでいい成績をとることが大人から課せられたミッションだったのです。

 

しかし今の大人のほうがいうことが矛盾しています。あなたに子供がいたとしてこんなことを言っていませんか?

 

ゲームしないで勉強しろ

マンガばっかり読んでいないで小説も読め

テレビばっかり見てないで勉強しろ

 

そして入ってきた新人にはこんなことを言っていませんか?

 

いい大学出てるのに要領悪いよな。

何勉強してきたんだよ?

 

きっと今いなくても将来子供ができた時に言っていると思います。僕はまさにこれでした。僕は漫画ばかり読まずに図書館の小説をすべて読破し、ゲームもテレビも見ずに徹夜で暗記をしました。結果いい成績も、いい大学にも行けました。でもそれだけでした。僕に落ち度があったといえるでしょうか。誰かのせいにしてんじゃねえよと人はいうかもしれません。いいえ、誰かのせいにしているのはきっと発言者なのです。自分に課せられたミッションをすべて次世代に何でもかんでも押し付けて、自分の楽ばかり考えた結果今の教育制度に何もアクションも起こせず、自分の今の成長もおろそかだから後輩もやめてしまうのです。僕はただ正しいといわれるものをインプットしてきました。今こうしてアウトプットするとこうです。

 

勉強は何のためだったのか

 

その内容を考える力はついたのかもしれません。僕らは頭がよくなるために勉強していたわけではありませんでした。僕らが勉強していたのは親と社会が求めるからです。親に承認されたい。褒められたい。そういう思いと、親に認知されていきたい。そういう欲求のせいでした。親に認知されなければ死んでいるも同じなのです。それが僕らの生存競争でした。僕らは頭がよくありません。勉強は確かにできました。しかし、頭のいい大人たちはもちろんわかっているはずなのです。今の勉強がただのルーティンの繰り返しで1つのルールを暗記してアウトプットする。そんな退屈な作業、つまり一種の事務作業にすぎないことを。

 

だから僕たちは事務作業、とりわけ公務員に特化している勉強をしてきたのです。県立高校や国立大学は学費は安いと親は勧めるでしょう。結局目先の利益で何も考えてはいないのです。そこにあるのは従来の方式、公務員養成授業なのですから。ここでまた一つ世間の大人と矛盾が起きるのです。

 

いい大学出てるのに要領悪いよな。

何勉強してきたんだよ?

 

結論から言えば、僕らはちゃんと要領よくテストで回答できる力を身に着けました。僕らはルールを順守し、それに則した最速の計算方法を身に着けました。それを言えば発言者は激昂することでしょう。何屁理屈言ってんだと。屁理屈と発言した時点で思考が停止している証拠なので、この人は勉強してこなかったタイプのほうなのに、勉強について非難するだなと思うわけです。

 

勉強しないで何か1つだけを成し遂げたほうが優秀という新説

そして今の30代以上のニューマザー、ファーザーたちは考え直すのです。今の学校教育は役に立たないからとりあえず派閥メリットのため塾に通わせて有名私立に行かせる。加えて、さらに出世および転職で有利になるように何か手に職を持たせようと。となると、ピアノも美術も違う。そうだ!プログラミングだ!と子供をそろばんでもなくプログラミングを授業に取り入れた私立幼稚園に入れるのです。

 

しかし、結局何も変わらないと思いました。僕は勉強して勉強してある特定の分野に特化した無駄な能力を一つ持っています。それは社会では役に立ちません。誰かを幸せにすることもできない能力です。僕はそれを自分の中から自発的に獲得しましたが役に立つことはありませんでした。プログラミングが30年後役に立っているという説も微妙でしょう。プログラミング自体をAIにやらせればいいのですから。もし小説も漫画も読まずにプログラミングだけをやりなさいとなった場合、今の僕と同じくオワコンだろうなと思います。なぜなら以前書いたように、AIを監督する場合、またその先を見据えた場合に本当に必要になってくるのは人間を理解する能力、共感力などでそれは小説が一番培われやすいのですから。

 

【AIに仕事をとられる・奪われる】という議論のさらにその先の世界を予測してみた - 明日も無色

 

ここで僕が言いたいのは、勉強だけ頑張ってきましたはそこまで悪いことなのかということでした。同じく何か1つに集中し、すべての時間を費やしたことはすべて無駄だったのでしょうか。就活では勉強以外のことを回答せよとなっています。しかし、それは面接官がたいして勉強にすべてをささげる必要がなかったという幸運な境遇だから言えることで、僕にとっては命がかかっていてそれ自体が目的という状況だったのです。しかしそれを伝えることはできません。伝えたとしても無力で、むしろ白けるのは目に見えているからです。ましてそれを告げてまで働きたいとも思いません。

 

勉強だけができた。もう目的がない

そして検索すると高学歴ニートがたくさんいることに気が付きます。彼らは勉強が生きる目的だったのです。点を取り合うことが快感で、ノルマを超えるというのは答えがなく退屈なのです。まして社会は学校ほど平等ではありません不細工やイケメン、男女、学歴や派閥、人格、あらゆる不確定要素が多すぎて退屈なのです。それはやればやるだけ結果が伴わない事実という言葉でも表せます。世間の大人は言います。

 

社会は矛盾して当然だ

それはむかつくがしょうがない

 

しょうがないことばっかりなのなと高学歴ニートはつぶやきます。高学歴ニートは嘲笑っているのではありません。ただドンマイ程度につぶやいているだけなのです。目的もない、あ~人生終わったわって思っているだけなのです。

 

コラム:ベンチャー企業が思いのほか大した論理で動いていないと判明

そう思いました。なんかかっこいいこと言うのだけれど、啓発本や思想家の引用ばかりでそれに陶酔している人が起業家には多いように感じます。一種の自己暗示のようなものだと思います。だから言葉では大きいことを言うけれど、論理も成果もすべて不安定なのだなと思ったのでした。

 

最後に

言葉を書けば頭が整理されて論文が書きやすいと教わりました。涙にはストレス解消効果があると現代文の問題に出てきました。歴史を知れば因果関係が理解でき将来を予想できると知りました。このブログはそんな蓄積でできていました。こんなブログでも世の中の立派な理不尽大人が読んで参考にしてくれてたら僕のかちかなとか思って今日は終わりにしようと思いました。

 

なんだ、全然読みにくいしこいつバカなんじゃねえの??と思った方正解です。それを思ってくれれば僕はまだまだ普通の人として働ける可能性があるということです。いつか普通にはたらけたらいいな

  

以上考えたたことでした。

 

 

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