明日も無色

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【スマホ中毒】電車でスマホばかりの人生に捧げたい言葉

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 こんにちは、青色申告です。

 

電車の中に入ると異様な光景が広がっています。みんなスマホ。立ち上がってもスマホ。なんだこれはと思いつつも僕もいじってしまうスマホ。そんな人生に捧げたい言葉を考えました。

 

【目次】

 

スマホに吸い込まれる意識

スマホの画面をいじる光景がとても異様に映る理由は、その人がその現実に存在しないからです。その人の意識はスマホに集中し、纏うオーラが現実に着地していないのです。

 

なぜそこまで多くの人がちょっと前までスマホなんて流行らないといっていたのに手にするようになったのでしょうか。それはスマホ持ち歩けるパソコンレベルになったことが挙げられるでしょう。ゲームや検索、計算、カメラ、読書、電話、ミュージックプレイヤー、仕事になんでもできてしまうようになりました。その機能の増加に伴いスマホで完結する社会になったといっても過言ではありません。

 

いまではPCすら持っていない中高生が多いと聞きます。それもそのはずで、レポートを書くわけでもない、動画の編集やCGソフトを使うわけでも、高速計算をするわけでもない人にとってPCは不要なものになってしまいました。

 

そうした中でスマホが持つ異様さは、意識を吸い込まれるという点にあります。カップルでいてもスマホをいじる。夫婦でも家族でもみんなスマホに意識を吸い込みます。問題はそれまでのデバイスとの意識の吸い込まれ方が違うのです。あの小さい画面に集中した姿はなぜかスマートに感じません。なぜでしょうか。はっきりって読書してる姿よりダサい。MACをカタカタタイプする意識高い系よりダサいスマホのゲームをやっている姿はさらにダサい。なぜでしょう。

 

それは、あの小さい画面に今の時間を吸い取られている姿が果てしなく非生産的、何も生み出さないからではないでしょうか。ものを考えることはなく、ただ受容するデバイスの最たるものだからではないでしょうか。またそれに受容に特化したデバイスだからではないでしょうか。

 

知るべき情報はなくなった

スマホを持っていれば、百科事典を常に携行している気になれま。紙の辞書や電子辞書はいらなくなりました。なぜなら、Googleを携行していればなんでも知ることができるからです。しかし、多くの人が勘違いをしています。スマホが人の脳みそを小さくしてしまいました。妙に知ったかぶりをする人間だけを増やしてしまいました

 

さらに言えばスマホによって知らなくてもいい情報が大量に放出され、多くの人がそれをお菓子のようにただ漫然と食するようになりました。スマートニュースなどまとめ系ニュースアプリの登場で、「知るべき」と銘打たれた情報が大量に目にすることができるようになりました。

 

しかし、お気づきでしょう。本当に知るべきニュースなど毎日起こりはしないことに。僕はRSS購読で一日300サイトほどの記事を読んだり、世界中500のニュースサイトのTwitterをチェックしていますが、思ってしまいました。本当に知るべきものなどなかったことに。

 

ただ、スマホがそばにあるから、便利だから、時間を無駄にしたくないからという意識で勉強しているつもりになって大量の情報を飲み込んでいたのです

 

情報過多がもたらした正義と冷遇

これによって、人に与えたことはもう1つあります。それはその知っても仕方がないキャンペーンで打ち出された情報があたかも正義の情報となり人のライフスタイルまで影響を与えているということです、具体的には節税の常識や一番モテルテクニック、こんな奴は一生万年平社員、などです。そこに書かれている「常識」がなければ人間として0点となってしまうのです。その記事がそう書かれているのではありません。「こうしたほうがレベルアップできるよ?」という記事がまわりまわってこの日本では「常識」、つまり「それが正常」というレベルまでなってきているということです。

 

例えば、多言語の獲得ががその人の思考力増強に役立つという情報があります。そうなると、英語を使う必要もない人がロシア語やフランス語まで勉強を始めます。ええ、それ自体はいいのです。本当に教養として素晴らしくなるのですから。しかし。そうした情報からの行動が周りにもたらすのは「鍛錬しないものは怠慢」であるという見方です。鍛錬しないものは怠慢。この思考は昔からあります。え、何が問題なの?という意見があるでしょう。それがすでに騙されてしまっています。根本は、その情報は知るべき情報ではなかった雑学という点です。数多くの雑学が世にはなたれ、多くの知ったかがこれ見よがしに言うもんだから、それがあたかも正義となり人を生きにくくさせてしまいました

 

ブログと知識中毒

そして、ブログがその情報発信の最たるものなのではないかと書いていて思いました。ブログは数多くのメモがありますが、数多くの雑学の集積でもあります。読まれたい、誰かの助けになったらうれしいという思いでたくさんの雑学がネットに集積されていきます。ここでアクセスされやすい=世間のニーズがあるというのは僕は少し違うのではないかと思ってたりします。なぜなら、僕の考え方だと、今の訪問者はすでに知るべき情報ではないことを検索する中毒にかかっている状態だからです。僕も含めて、すべての人が知識中毒になってしまっています。少し気になれば、調べてしまう。OK!Google!と叫んでしまう。へい!Siri!と叫んでしまう。ネット検索が思考内検索よりも早くなってしまいました。

 

また、数多くのブログを読んでいるとそれ前もいってたやん!という記事やそれただ散歩やん!という記事ばかりがたくさんあります。しかし、検索するとヒットして出てくる。スーパーブロガーなどの記事は特に顕著です。僕がここで言いたいのはブロガー批判ではありません。ブログはそうやって楽しく書いていればいいと思います。僕が言いたいのは、検索した先にある情報が正義ではないのだということです。僕がここで書いていることを検索して訪問した人はもしかしたら信じてしまうかもしれません。なぜなら多くの人が、検索した先にあるものが知人の情報よりも正しいと思い込んでしまうから

 

検索は百科事典を検索しているのとは違うのです。インターネットはただほかの人の頭を覗くだけ。その程度なのです。百科事典や六法もネットで検索できるようになりました。しかし、ネットで検索すると誰よりも先に誰かのブログが出てきます。人は優先順位を知らず知らずに価値のある順で考えてしまいます。それは特にネット検索で顕著ではないでしょうか。

 

電車でスマホばかりの人生に捧げたい言葉

以上を踏まえて、さらに考えました。でも僕はまた明日も電車でスマホをみてしまうだろうなと。なぜならだからです。本を持ち歩くにしては重い。いや重いというのはいい訳です。本よりもスマホでまとめ記事読んでいるほうが気楽なのです。またすでにミュージックプレイヤーもないのでスマホがないと困ります。さらにメールの確認やメモ帳でもあり、なくてはならない人生になってしまいました。そんな人生に捧げたい言葉。それは

 

空のほうがきれいだぜ

 

ただそれだけでした。なんかすごい趣深い言葉とか出てくるかなと思ったんですけど、ただそれだけだったんです。笑。電車の外の風景はもしかしたら見慣れてしまっているかもしれません。でも電車の外の風景って毎日かわるんですよね。何よりとても開放的です。毎日変わるスピードの速いネットの情報ですが、案外自然よりも退屈で閉鎖的なんじゃないかしら。笑。

 

以上思ったことでした。

 

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